“人間(じんかん)五十年、下天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬ者のあるべきか。これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ”
と舞ったのち、今川義元との決戦に向け桶狭間へ出発したという話は、ご存じの方も多いと思います。これは室町時代に流行した能や歌舞伎の原型と言われる曲舞(くせまい)の一つ「幸若舞(こうわかまい)」の「敦盛」という一節です。
この敦盛とは、1184年源平合戦(治承・寿永の乱)一ノ谷の戦いで、源氏の将熊谷直実(くまがいなおざね)が、心ならずも若い平敦盛を討ち取った事に世の無常を感じ、出家した事を謡ったもので、「人の一生など下天(仏教用語、一昼夜が人間界の50年にあたる)から見れば儚いものだ」と解釈できます。信長はこの節を好み、出陣前に演じ「人間死ぬときは死ぬ」とでも決意して、命のやりとりに向かったのでしょうか?
この謡いに出てくる「人間五十年」とは人生の意味ですが、源平合戦の時代(12世紀)の日本では、寿命は40歳程度だったので、「人生五十年」は、当時の感覚では長生きですが、それでも夢幻の一瞬ほどの儚さだったのでしょう。信長が明智光秀の裏切りに遭い、本能寺で死亡したのは49歳でした。現代の日本人のそれから見れば実に短い一生です。
「平均寿命」とはどのようなものか
2011年のWHO(世界保険機構)の発表によれば、平均寿命が80歳を超えている国は、17カ国です。それらは日本を始め、米国、北欧などヨーロッパ、さらにオーストラリアなど、皆発展している先進国であり、一方短い国はアフリカのシエラレオネで、その平均寿命は47歳です。また、2010年の国連の報告では、世界の平均寿命は67.88歳です。
平均寿命とは、「いま生まれた子どもがあと何年生きられるか」という年数を統計的に計算した数字であり、「ある年齢の人があと何年生きられるか」という場合は「平均余命」と言います。この数字は、厚生労働省のホームページに「主な年齢の平均余命」として公開されています。平成22年に30歳の男性は50.41年、女性は56.92年が平均余命となっています。
ヒトの寿命は、その集団の特徴(栄養状態、衛生状態、医療レベル、社会的安定性など)により違います。歴史的には近代までは、ペストなど社会の衛生状態や戦争などによる死、さらには栄養状態や医療技術の未発達により死亡率が高く、そのため平均寿命は低い時代がありました。特に乳幼児の死亡率は高く、現在のアフリカなどに見られる状態とあまり違わないかもしれません。日本でも昭和40年代までは、結核が国民病と言われていましたが、国民栄養状態が改善され、生活環境が近代化するにつれて、結核での死亡は減り、国民全体の寿命は延びていきました。つまり、文明の進化と医療技術の進歩や経済状態の改善により、寿命は決まります。おそらくヒトという生物の環境要素を除いた場合、寿命は人種や性別で差は無いと思われます。
ヒトはどのくらい長生きできるのか
最近の研究によれば、ヒトは突発的な事故(交通事故など)がなく、安定した生活ができる環境では120歳まで生きられるという研究が発表され、広く認知されています。ヒトという動物の寿命を考えるとき、戦争などのない安定し安全な環境では、「老化」というプロセスの結果が死に繋がります。その老化という現象が寿命の中では大きな比重を占めます。たとえば老化が20代から始まっていれば、50年間は老化と折り合いながら生活することになります。
近年話題の「アンチ・エージング」という分野は、美容外科や整形手術の一種として取り扱われていますが、最新医学では「老化」の研究が重要な分野の一つを担っています。老化を研究するのは、細胞・臓器そしてヒトという生命活動を解明することですが、それは不老不死を求める危うい科学と表裏一体かも知れません。
年の初めには新年を言祝ぐものですが、寿命を120年は無理としても、あなたの平均余命を知ることで、何をお感じになるでしょうか?思いの外、長いとは思えませんか?