映画やテレビのパリ・ロケとなれば、エッフェル塔や凱旋門といった観光名所やオスマン建築の建物と定番は決まっている。しかしこれだけでは単なる観光ガイドになってしまうので、パリという街をもっと肌で感じさせるモノたちに出会いたいという思いに駆られるだろう。そんな望みを叶えるパリならではの『貌(かお)』を持ったモノたちが日常生活の中にごく当たり前のように存在している。
まず最初に挙げられるのがメトロの入り口。アール・ヌーヴォーの代表的建築家エクトール・ギマールのデザインで、植物からインスピレーションを受けた独特な曲線の装飾が特徴的だ。アール・ヌーヴォーの鉄のアーチは幾多の風雪に耐えながら、その下をくぐり抜けるあらゆる人々の人生模様を黙って見守ってきた。2つ目はコロン・モリスと呼ばれる、映画や演劇のポスターが貼られる広告塔。100年以上前からデザインはほぼ変わらないが、今ではモーターによる回転式の物も多い。2006年、都市整備を理由に数百本の広告塔が排除された際には反対運動が起こり、コロン・モリスが単なる広告塔だけではない役割を果たしていることを伺わせた。3つ目はワラスの噴水と呼ばれる給水場。飲料水不足で窮していたパリにイギリス人の大富豪ワラスが贈ったのが発祥だ。
全て19世紀後半に出現したこれ等は、きらびやかなモノたちの陰で左程の主張もせずひそかに生き延びて来た。これもまたパリの『貌』なのだと思う。だからこそ映画のセットに「コロン・モリスを何本設置しましょうか?」とか「どこそこのメトロの入口をバックに撮りましょう」等という話になる。こうしたモノたちがパリならではの『貌』を作り上げ、街のアイデンティティーを築くのである。
さらにカメラのファインダーを街から日々を営む人に向けてみると、パリの別の『貌』が見えてくる。もう少し正確に言えば、自己を表現できる自分らしいモノを持った素敵な『貌』に出会うということだ。
例えば煙草。近年の健康志向で喫煙人口はフランスでも減少していて、電子タバコの専門ショップが次々と姿を現している。私自身、煙草はどちらかと言えば嫌いなはずなのに、吸う人と銘柄と吸い方があまりにも合っている人に出会うと感動を覚える時がある。仕事でよく顔を合わせる女性の1人がヴォーグ・ブルー・スーパー・スリムというとても細い煙草を吸っている。パッケージの上部が小さい正方形で箱からして細長く、他の銘柄とは一線を画している。70歳になるベテラン映画プロデューサーで、爪にはいつも深紅のマニキュアが綺麗に塗られ、華奢な体型に似合わぬ存在感ある指の間に煙草を挟んで一服すると真っ赤な口紅の跡がつく。普段は買うとすぐに革の煙草ケースに移し替えるので、紙のパッケージをそのまま持ち歩くのは忙しい時の印だ。女性としてもプロフェッショナルとしても成熟したその人の指に挟まれた瞬間、スーパースリムは完璧に彼女の一部となり、そして一枚の絵になる。これもまた小さなパリの『貌』であろう。
それとは正反対のイメージの煙草と言えば、やはりゴロワーズではないだろうか。男の煙草、労働者のシンボル、というイメージが強い。ゴロワーズ愛煙家としてフランスで有名なのは哲学者ジャン=ポール・サルトルだ。馴染みのカフェに座り、度の強い黒ぶち眼鏡をかけてごつい指にゴロワーズを挟み煙をたなびかせる姿は、灰汁の強いパリの『貌』の遺産と言えるだろう。
サルトルと言えば、モンパルナス駅近くにミストラルという名のホテルがあり、パートナーのシモーヌ=ド・ボーヴォワールと共に常宿として使っていた。ホテル正面の壁には、二人の言葉が隣同士に刻まれている。
ボーヴォワール
“二人の個人の間の調和は与えられるものではなく、
常に獲得しなければならない。”
サルトル
“決して変わらない、変わり得ない事がある。
それは何が起ころうが、私が何になろうが、あなたと一緒である事だ。”
そして、「互いの自由を大切に守っていた二人は、モンパルナス墓地を臨むこのホテルに別々の部屋をとって滞在していました。二人はその墓地で死によって結ばれています。」と、自由恋愛を貫いた二人の関係を彷彿させる言葉が添えられている。そうした関係、そうした生き方こそが二人のアイデンティティーでもあった。パリの様々な『貌』の根底に流れているのは、自分らしさをとことん追求する二人のような人物を生み出した空気なのではなかろうか。