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うずらヶ丘希望通り

Butte aux cailles1

猫「まさかイヴになったつもりじゃ?」

イラスト:りんたろう

パリの南、少し高台となっている地区Butte aux cailles/ビュット・オ・カイユ。「うずらヶ丘」という名のこの場所は、その響きからして他の地区とはどこか違う空気を放っている。

ここはかつてセーヌ川の支流ビエーヴル川が流れていたことから、染物屋や皮革のなめし職人、臓物業者といった水を必要とする職業の人々が集まっていた所だ。今ではその面影はほとんどないが、19世紀半ばまでパリ市の管轄下になかった地区ということもあり、都市とは思えぬ低い建物が立ち並びどこか牧歌的だ。大きな仕事が一段落しちょっと疲れた頃、いつもの散歩コースから外れて必ず足を踏み入れてしまうのは、この界隈特有の時間の流れが急に恋しくなるからだ。

石畳の通りをのんびり歩いていると、以前までなかった壁画アートが突如目に飛び込んできた。壁画アートといっても単に壁に描かれた絵ではない。立体3Dグラフィティだ。なんでもミラノ発のストリート・アーティスト2人組Urban Solidが、葉っぱをまとった「アダム」をあちこちの街に出現させているらしい。グラフィティの枠を超え彫刻に近いストリート・アートが穏やかな通りの新しい住人として風景にすっかり馴染んでいる。

パリでは昔ながらの景観を保つため、古い建物が壊されたり新しいビルが建設されることは比較的少ない。それでも、通りや街が変わらないようでいながら確実に変貌し、まるで「生きている」と感じる瞬間がしばしある。そして、無機質なものに命が宿っている瞬間を目の当たりにする度、「生きている」という言葉がフランス語で頻繁に使われていることを思い出す。

例えば日本語で言う「現代語」のことをフランス語では「langue vivante/生きている言語」と言う。そこには、現在使われている言語という時の概念だけでなく、成長し続けているものだという意味が読み取れる。そう言えばフランス語を学んでいた頃、若い人の間で流行っている省略言葉やスラングを正しくない言葉と片付けず、まるで新種の生き物を紹介するかのように教えてくれた先生がいた。言語は生き物であるという事実との初めての出会いだった。

もう一つ例を挙げると、演劇、オペラ、ダンス、コンサート、人形劇などの舞台芸術や大道芸などのパフォーマンス・アーツを総じてフランス語では「spectacle vivant/生きているスペクタクル」と呼ぶ。映画やテレビやラジオなど、何らかの媒体に記録・録音・録画するアートとは違う形態の芸術に対し90年代から使われるようになった用語だ。今でこそ何の疑問も持たれることなく一つのカテゴリーの名称として定着しているが、「生きているスペクタクル」と耳にする度、なんといい響きなのだろうと唸ってしまう。人前で何かを生で見せる、生で見る、それ自体がまさに生き物なのだ。

スイムスーツのアダムの前には「希望通り」という名の坂道が続いている。うっすらとニヒルな笑顔を浮かべながら、やけに生き生きとしているではないか。エデンの園から追放されたことなんてちっとも後悔していないに違いない。