カンヌ映画祭に行くようになって12、3年だろうか。現実と虚構が入り乱れ各々の野心が交差するカオスと、それでいてずしりと存在する絶対的な映画愛に毎度圧倒される。今年の審査員長は世界の誰もが知るスティーブン・スピルバーグ。日本からはコンペティション部門に2作品が選ばれ、そのうちの1作で仏語字幕制作や通訳を依頼された。
字幕翻訳をする際、配給会社や海外セールスのエージェントと細かい言葉の使い方で意見交換を重ねる。中でも一般的に英語で使われている言葉をどこまでフランス語で言うか?という点は毎回論点となって、時には熱い議論に発展する。これはフランスならではと言っても過言ではないと思う。自国の言葉を文化の中心と位置付けて、字幕に限らずなるべくフランス語の言葉を使うことが伝統的に推奨されてきた。それがここ数年、観客の感覚の変化に比例するごとく英語に対して寛容になってきている傾向が少なからず見受けられる。
フランスの大手国語辞書プチ・ロベールやプチ・ラルースは、改訂版に掲載される新しい言葉を毎年発表する。このニュー・ボキャブラリー・リスト、なかなか面白いので毎年チェックしている。国語辞書に載ったからと言って映画字幕に使っていいと言うルールがある訳ではないけれど、どの言葉がどのくらい受け入れられているかを知るバロメーターになるのだ。いくつか例を挙げてみると、グーグルで検索をする「ググる」の仏語版「グーグリゼ」や「ハッシュタグ」。同性婚が法的に認められるようになったので「結婚」という言葉の意味では「男女」という言葉が削除された。加えて「弁当bento」「海苔nori」「抹茶matcha」等の日本の食べ物が堂々の辞書入り。和食の人気をそのまま反映しての結果だ。そしてさらに驚いたのがアメリカ製の「カップケーキ」。スイーツ王国のフランスのケーキに比べたら味ははるかに劣るのではと思えるカップケーキだが、確かにパリのオシャレな地区で見かけることが増え、こちらもついに辞書入りを果たした。
話をカンヌに戻すが、華やかな映画祭の裏でフランスの映画人達がヤキモキしていたことが一つあった。それは『文化的例外』と呼ばれる文化政策の行く末だ。映画を始めとする文化の産物は他の産業の製品とは違う、だから自国の文化産業を守るために規制しようという政策で、すでに様々な形で実行されている。簡単に言ってしまえば、ハリウッド映画の世界支配からなんとか身を守る策、である。具体的には、年間にテレビで放映される映画の60%はヨーロッパの作品、全体の40%は言語がフランス語でなくてはいけないという規則や、テレビ局は年間収益から一定の額をヨーロッパ映画の製作に出資することが義務づけられていることなどが挙げられる。北米・EU間の自由貿易の交渉を控え、映画祭期間中にEU諸国内での歩調合わせが重要な転機を迎えていたのだ。映画に限らず音楽やテレビドラマはどうするか?国籍という考えすらあやふやなネットやスマートフォンで映画を見る場合はどうなるのか?経済主義の荒波の中で文化やその多様性をどう守っていくかは、フランス映画の死活問題でもあり、また長い年月をかけて培われた文化に対する哲学の問題でもある。スピルバーグさえフランスが唱える『文化的例外』は必要だとカンヌで公言した。きっとこれは世界の映画監督の気持ちなのではないだろうか。そしてその気持ちを共有できることだってグローバリゼーションの一つと言えるのではないだろうか。文化はお金というものさしでは測れないという考えがEUの基本的な共通認識として議論は続いているが、今後の課題は山積みと言える。
ところでパリのカップケーキは美味しいのだろうか。今までちょっと敬遠していた近所のケーキ屋さんへ行き『今日のカップケーキ』を買ってみると、でっぷりと乗ったクリームの上にバンビがちょこんとたたずんでいた。バンビはオーストリア人の作家の手によってアルプスの山中でストーリーが書かれ、ディズニーのアニメによってフォルムを得たんだったなぁ。そんなことを考えながらカップケーキにかぶりつき、やっぱりカップケーキはカップケーキの味だと思った瞬間、バンビと目と目があってしまった。